薫製うんこをひねり出す

ツイッターに書くほど面白くないことを書きます。

5年ぶりに壱◯家に行ってきた話。(前編)

0.はじめに

呉下の阿蒙ということわざがある。

三国志において、呉の呂蒙という武将は武勇こそ優れていたが教養が欠けていた。

主君の孫権呂蒙に学問も修めるよう説き、呂蒙もこれに応える形で猛勉強。

最終的に呉でも有数の戦略家として名を馳せ、知識人である魯粛に「(かつての)呉下の阿蒙に非ず」と謂わしめた話が元である。

現在では、成長のないものや人を指し「呉下の阿蒙」と揶揄する形で使用されることわざである。

人は、ラーメンは、成長し続けるべきものである。

かつての不味いラーメンは、成長により美味しいラーメンに生まれ変わるかやがて淘汰されるかの二択である。

つまり、現存するということは昔より美味しくなっているということに他ならない。

一方で、人もまた見識を広げ教養を深めることで美味い不味いの判断力を成長させるべきである。

愚者は経験に学ぶというが、いつまでも古い記憶の「不味い」経験をそのままにしてはいけないのだ。

今回は、そういった人間のあり方に基づいて晩飯を食べた話である。


1.経緯

5年前、初めて◯角家に行った。東京チカラめしが大量に閉店し、跡地には必ずといっていいほど壱角◯が入った。チカラめしがなく、ラーメン屋に入った、それだけだった。

中央調理方式のラーメンは何も珍しいことはなく、特に家系については他にも存在していることから何の珍しさもない、ましてや家系は自分で味の調節が出来るのだ、外れることはないと高を括っていた。

注文は一番シンプルなラーメン。硬め濃いめ少なめ、口が自然にそう呟いたのだと思う。ライスを取ったかは覚えていない。数分後、思ったよりは写真と差異のないラーメンが出され、レンゲでスープを掬い、すすった。最初の間違いだった。

元々家系の中の壱系の特徴である乳化した白いスープの、乳化がもたらしたであろう部分が絶望的に好みじゃなかった。直接口に含めてはならなかった。

慌てて麺を口に運び、その麺が粘土か何かで出来ている錯覚を覚えた。麺の断面はどうだったか、おそらく芯まで茹でられていないで済むものではない。店員の技量なのかどうかは分からない。

トッピングはどうだ。申し訳程度のほうれん草、チャーシューと謎の肉片、長方形の海苔、うずら。よかった、薬にはならないが毒にもならない。毒だとしてもスープの前では誤差だ。

その後どうしたのかはもう覚えていない。卓上の調味料を使っただろう。さぞかし使ったであろう。ライスは食べていないはずだ。食べるためのラーメンではないのだから。

こうした散々な経験が心に植え付けられ、以後◯角家を嫌悪し続けることとなる。少ない知り合い内でも概ね同様の評価であり、思い込みに拍車がかかった。二度と行くことはないだろうとまで思った。

別メニューであればと思い、その後油そばを食べに壱角家を再訪し、同様に撃沈した。人間は1度では学習しない生物である。だが、同じ箇所に負った傷はより根深い痕となり心の奥深くに残るのだ。三度目はないと誓った。事実、その後今日に至るまで壱◯家に行くことはなかった。

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それから5年が経過した、2019年10月、日曜の夜。何もない休日にSNSを眺めていると突然「壱角家に行った」との投稿があり、思わず布団から飛び上がった。

目を疑ってしまった。最初は異常な事態であると思った。しかし、異常だとする根拠はどこだ?と考えた時にひとつの事実に直面する。

「自分の知っている壱角家の情報は5年前で更新が止まっている」

ラーメンは日進月歩の世界である。かつて一世を風靡した支那そば屋も、なんでんかんでんも、どさん子もその力を有しておらず。濃厚魚介豚骨、背油煮干、端麗を突き詰めた魚介、二郎系といったブームが次々に形成され、見たこともないような創作が日々産声をあげ、ついにはミシュランにまで掲載され星を得る店もあった。

当然ながら生き残るためには日々味を試行錯誤することとなる。変わらない味という評価はマイナスなのだ。とすれば、都内に十数店舗を構えるチェーン店がマイナーチェンジを図っていても何の不思議もない。

また、自分の記憶についても疑問が残る。人間の記憶は覚えてから1日でおよそ半分が消失するらしい。それが証拠にライスを頼んだかどうか思い出せていない。

不味いという思い込みの中で寝かせた記憶に正当性があると考えるのもおかしな話だ。不確かな情報に踊らされているに過ぎないのではないだろうか。店の下振れをツモった可能性も懸念される。

考えても考えても不安が消えない。◯角家と自分、どちらが異常なのか。その答えを出すためには今日食べに行くしかない。私は5年ぶりに壱◯家に足を運ぶこととした。己の正当性を懸けて。


2.分析

有名ラーメンyoutuberがこう言葉を残している。

「駅前家系ラーメンは食べ手の技量が問われる」と。

※ SUSURU TV.第1319回参照

戦地に赴くにあたり、無策で飛びこむ必要はない。前回と同じ轍を踏まないようにすべく前回の情報を整理し、策を講じることが食べるためのテクニックであることは言うまでもない。

ラーメンに非はないとした上で、5年前の行動から失敗の原因を分析する。

【失敗パターン】
1.普通のラーメンを注文
2.硬め濃いめ少なめを注文
3.トッピングなし

1.についてはシンプルだ。普通のラーメンが味覚に合わなかった。ならば普通のラーメンを頼まなければよい。それだけのことだ。

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◯角家は家系最強を名乗るだけあり、そのメニューの豊富さはラーメンショップもかくやといった具合である。
その中でも今回は「赤辛」をチョイスする。

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乳化したスープが以前と同じであった場合、そのマイナス点を打ち消すには他の油を足してやればよい。ここで黒か赤かの2択に絞られ、黒の焦がしニンニク油よりは赤のほうが相殺に適していると判断したからだ。
また、一般的な家系には豆板醤が置いてあることから、赤唐辛子系の辛さとスープの相性は悪くないと判断した。

2.について、これはよく考えれば赤を頼む以前の問題であった。相手はラーメンマニアを相手取る商売ではないということだ。

一般的な、標準的なユーザーは硬め濃いめ少なめ(あるいは多め)といったコールを行わない。当然、有名店のように硬め濃いめ少なめ(と一部の酔狂な人間が頼む多め)に対応したデフォルトの調節を行わないため、コールは「全て普通」が理想解になるのだ。

麺の固さを普通にすることで粘土のようだった麺をしっかり茹でさせる狙いもある。

3.のトッピングについてはなしのままでもよいかと思ったが、予防線を張ることとした。海苔増しである。

ラーメンにおける海苔というのは通常邪魔物である。何故ならよほどがない限り海苔の香りにスープが、海苔の味に舌が支配されるからである。

今回はこれを逆手に取り、困った際のワンポイントとすることにした。幸いなことに◯角家のホームページから海苔増し・うずら増し・麺大盛のいずれか選べるクーポンがダウンロード出来るのでもし万が一何か事情があり壱◯家に行く際は覚えておくとよい。

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こうして作戦は決まった。勝利を確信していた。家系は、ラーメンは極端な下振れが構造上あり得ない。不安に思う要素は取り除いた。心は美味しくラーメンを食すことで一杯だ。

意気揚々と店に向かう私は、この後まさかあんなことになるなんて思いもしなかったのだ。