やりもしないのに否定をすることについて。
がっこうぐらしの実写化が実写化って理由で叩かれてるらしく
制作サイドの人間がオタクに苦言を呈しててちょっと面白かった。
理想をいうと、実写化を叩く人間が見たものってあくまで宣伝用のポスターなり予告動画なりの作品のほんの一部未満を叩いてるわけで、
そんな情報不足のところから出てくる文句なんてのは的外れになるのは自明であり無視していただきたいのだが、
「実写化しね」のように理由もなく罵声のみの状態で石が投げられるから無視するかどうかの分別すら出来ず苦慮してんだなあって思う。
ここで気にくわないのはオタクがメモ帳スクショで書いた文句より「実写化しね」「保育園落ちた。日本しね」みたいな明らかに頭と文章が足りてない一言のほうが意見として声が大きく聞こえることで、
ちゃんと実写化した作品をみて理由があってしねっていう意見を出した時に相手に届く前に掻き消されることである。
文句をいうにしろ何が気に入らないのか理解できない「しね」が大きい意見となり、結果文句を言われた側が呆れてしまうことになる。
何でもかんでも叩く僕みたいな人間は、文句をいうことで他人を貶めたいという思いありきで、それに適当な理由で肉付けをするのだが、
思いだけをぶつけたような批判をするような人間は、そのやり方だと相手を絶対貶められない、目的を達成できないことを理解して文句をいってもらいたい。